飯田線沿線の街を巡ることにした。
飯田線は4つの私鉄を結んで作られた路線だ。その名残で、集落ごとに駅が設置されており、駅間距離が短い。今ではほとんど人が住んでいないところがあり、秘境駅が多いことで有名だ。
その中でも今回は、ある程度人口のある浦川・中部天竜・水窪・平岡駅の周辺を巡ることにした。
平岡駅(天龍村)
平岡は天竜川沿いの河岸段丘に作られた街で、川と山の間に高低差のある街が形成されている。街の中心を国道418号線が通り、その両脇に商店が並ぶ。418号線のすぐ隣には飯田線が走っており、駅と中心街が近い。
このような昔ながらの曲がりくねった道が好きなのは変わらない。この景色は四国でよく見るものに似ている。異なっているのは河岸段丘の幅が広く、街道の両脇にも大きい範囲で街が広がっていることだった。四国は、街道のすぐ隣は岸壁といったところが大きい気がする。
天龍村は江戸時代から天竜川を利用した木材の産地とされていた。
明治時代末には王子製紙が大規模伐採を実施した影響で人口が増えた。その後の飯田線建設工事、昭和25年の当時国内最大規模の平岡ダムの建設工事により人口8000人となり最高となった。
そこからは他の地方都市と同様に若者が都市部へと流出、過疎が進み、現在の人口は1000人程度である。
平岡ダムは電力を持って名古屋の軍需産業を支えるために建設されたダムでほとんど人力で作られた。労働問題など暗い歴史を残している。
駅には温泉施設が付属しており、お土産屋も併設されていた。その下の駐車場では朝市が開催されており、わさび菜と玄米パンを購入した。地元のものを地元で食べるのは旅の大きな醍醐味である。
最後に高台に登った。高台からは街を見渡せる。例に漏れず高台にはお墓がある。お墓からの画角はとてもよく、先祖が一番いい位置で集落を見渡せるようにしてたことがわかる。
浦川駅
飯田線はローカル線にしては珍しく車掌さんが乗務されている場合もある。駅はほとんど無人駅で、切符の販売が必要になる。なので車掌さんは大忙しだ。駅で新しく乗り込んだ乗客を覚え、切符を売りに行く。駅間が短い飯田線ではその余裕がなく、後でまとめてという場合もある。車内を歩いていて車掌室にいないため、車内放送を使ったアナウンスができず、車内で地声で実施していることもあった。
中には車掌さんと顔見知りになっている地元の方もいて、和やかな会話が行われていた。標準化を行い効率化の鬼となっているJR東海の車内でこんな光景が見られるのはおもしろい。
浦川は思っていたよりもコンパクトで、すぐに回り終わってしまった。江戸時代に浦川で没した歌舞伎役者を追悼するため行われた浦川歌舞伎で有名らしい。伝承されてきたが2019年でその歴史が途絶えた。
書店跡はピアノ教室になっており、中からたどたどしい音が聞こえたのが印象的だった。