岐阜と富山の県境付近に神岡はある。かつて美濃で一番栄えたと言われる街だ。
三井系列の神岡鉱山を有し、亜鉛の採掘は東洋一と言われていた。神岡鉱山の名前を教科書で見たことがある方がいるかもしれない。
陣痛川流域のイタイイタイ病の原因となった鉱山だからだ。
1970年代にその採掘量はピークを迎え、27000人もの人口があった。神岡鉄道が走り、鉱山から亜鉛を運んでいた。
鉱山は2001年に採掘中止。現在の人口は10000人程度。衰退した街と言える。
そんな神岡を雪の降る季節に巡ることができた。
神岡はアクセスが難しい。新幹線で名古屋まで行き特急ひだで飛騨古川へ向かった。
この日は前日の大雪で東海道新幹線が遅延しており、楽しみにしていたHC85系のひだは、名古屋駅前の信号待ち中に出発していく様子が見えてしまった。
一本後のひだで向かう。キハ85系は今年度で引退が発表されており、乗るのはこの旅行で最後になるだろう。昔乗鞍に行ったときに乗ったことがあるが、ラグジュアリーな設計で通路が曲がっており、輪行には厳しい車両だったことを覚えている。
この特急ひだも遅れに遅れ、神岡行のバスに飛騨高山から乗るのは難しくなってしまった。そこで、飛騨古川まで先回りし、バスに乗ることにした。
行先変更で車掌さんに声を掛けなくてはならず、なかなか通らないのでとてもそわそわした。
飛騨古川でバスに乗り換える。観光バスで運行されていた。乗客はまばら。神岡まで行ったのは自分を含め5人ほどだった。
神岡でバスを降りる。降りた先に神岡鉄道の飛騨神岡駅跡が待ち構えていた。2006年に神岡鉄道の廃線に伴い廃駅となった駅だ。
プラットホームが橋上にある餘部駅のような構造だ。残念ながら構内に入ることはできない。
神岡駅跡から東の丘の方へ向かう。今回の目的地は街の東側にある鉱山博物館・劇場などがある中心街、そして遊郭跡があるゾーンだ。
しばらく進むとY字路が現れた。どちらに行くか悩ましい。結局右側のゲートがある方へ向かった。
神岡の街は栄えていた雰囲気をそのまま残している。現在ほど車が安価ではなかった時代、鉱山労働者はこのような商店街に向かったのだろう。
様々な時代の建物が入り混じっており、歩くのが楽しい。
神通川の支流、神岡の街を南北に流れる高原川を渡る。
川岸には貴重な平地を活かした建造物が並び四国の川沿いのようだ。雪が積もっていることに違和感を覚える。
川を渡り、鉱山博物館へ行くため丘を登る。丘の上にある「神岡城」からの風景は有名で一度見てみたかったのだ。
丘を登り愕然とする。なんと冬季休館中だった。一瞬雪をかき分け侵入することも考えたが、善良な市民でいたいのでやめることにした。
途中の坂から写真を撮る。神岡鉄道の廃線跡は遊歩道になっており、そこから写真を撮った。
丘の上には神岡鉱山の社宅跡がある。現在は亜鉛の精錬を行っている神岡鉱業の社宅になっている。
資料には共同浴場の話などが載っていてとても面白い。
社宅のある丘からは現在も稼働している神岡鉱業の工場が見える。家から会社が見える環境、自分は嫌だなと感じてしまう。現在よりも労働環境が悪かった時代の人々はどのように感じていたのだろうか。たまたまその時は三池炭鉱の労働者のインタビュー音声を聞きながら歩いていたのでしんみりしてしまった。
(2/2)へ続く。