いっぴきこあらの大冒険

ロードバイクで鄙びた集落を巡るブログ

【滋賀県】琵琶湖に浮かぶ有人島 沖島を巡る(2/2)

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港へ戻り、島の東側を巡ることにする。東側の小学校を目指す。

港近くの家。洗濯物干しがあったり生活感が良い。

 

途中、整備された展望台がありそこで昼食をとった。

沖島の特徴と言えば、畑と湖の近さだ。普通の離島は、畑は海からある程度離れたところに置かれていることが多い。しかし、ここは淡水湖。水際に畑があり、様々な作物が栽培されている。商店がない沖島で、自分で野菜を育てるのは重要なのだろう。

畑と水の距離が近い。ここが、湖の中であることを感じる。

沖島小学校に着く。校庭は自由には入れて、更に東側へと向かうための通路になっている。島内の掲示板に小学校だよりが掲載されており、微笑ましい気持ちになった。ちなみに朝礼台もおかれており、自由に運動会の選手宣誓のマネや、校長先生のマネをすることもできる。

沖島小学校の校舎と校庭。

小学校を抜け、更に東側へと向かう。ここは空き家と畑が多いエリアだ。畑はよく整備されている。動物の被害を減らすためか、防犯ブザーや電気柵が設置されている。奥には厳島神社があるが、時間の関係で今回は途中で引き返した。歩く僕らを島民の方が三輪車で追い抜かしていく。

 

東側の小学校を抜けると空き家と畑が多くなる。

湖に近い畑。畑はどこもよく整備されている。

港へ戻る。帰りは湖沿いの道ではなく、山側の道を通ることにする。この道は左右に民家があり生活感が強い。湖と山の狭い空間に家を二つ並べるため、道は2人が並んだらふさがる狭さだ。洗濯機やプロパンガス、釣り道具を置いている家もある。

湖沿いの道を離れ、山側の民家の間の道を進む。

両側に民家がある狭い道が続く。

生活道具を置いている家もある。

沖島の歴史はとても古いらしい。人が定住し始めたのは12世紀ごろ、源氏の落ち武者が村を開いたようだ。戦国時代には関所が設けられ、海運の重要地点だった。

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人口は約240人、平成8年には約500人だったらしい。若い人はほとんどおらず、高齢化が進んでいる印象を受ける。2019年に訪問した際には、若い女の方が漁業組合でお話してくださった。そういった方の活躍もあってか、今回訪問した際には案内板が充実していた。

車を持たない換わりに島民は船を持っていることが多いらしい。島民のほとんどは漁業に関わっているそうだ。

 

四国の島や漁村では、もう役目を終えた雰囲気を漂わせているところもある。町も生き物なのだろう、時代の流れで寂れていくのは仕方ないのだと思うこともある。一方、沖島は廃墟も少なく生活が続いているように感じる。立地としても、京都から2時間で行ける好立地だ。こんな素敵な島の雰囲気を残すために何かできることはないのかと思いつつ、普段より多めに小銭を賽銭箱に入れた。