いっぴきこあらの大冒険

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【高知県】本山町を巡り高知屋旅館に泊まる(2/2)

1/2はこちら。

ippikikoala.hatenablog.com

念願だった高知屋旅館に入る。

好きなブログで見掛けて以来行きたかった旅館だ。そのブログにきれいな写真が沢山掲載されているので、ここでは女将さんに聞いた話をメインにする。

 

高知屋旅館は大正時代に創業された。今では本山唯一の旅館となっている。

本山の「旧道」沿いに高知屋旅館はある。

高知屋旅館の外観。

旅館「高知屋」。

館内に入り2階に上がると、この旅館の特徴であるダンスホールが見える。和の旅館と洋のダンスホールの組み合わせが良い。

階段を上がるとダンスホールが迎え入れてくれる。

洋風のダンスホールと和風の旅館。

内庭はロの字になっている。

レトロなガラスがはまった廊下に心が躍り、滞在中何往復もした。

渡り廊下には歪なガラスがはまっている。

2階の奥の部屋に通された。この日はとても寒かったため、冷えなかったか心配された。いつでもお風呂に入れるし、冬用の布団と暖房で快適だった。こういう旅館に着くと、テレビを付けられ勝手にこの状態になる。

通された部屋。

現在、ダンスホールの中は客室になっている。洋風の窓枠から旅館の向こうが見える。

ダンスホールからみる内庭。

この日は夕飯を出すのは難しいとのことだったため、夜は地元の居酒屋に行った。朝ごはんについてはどっちでもとのことだったため、お言葉に甘えていただいた。

女将さんと息子さん(?)と一緒に朝ごはんを食べるという珍しい経験となった。

朝ごはんをいただく。

宿を出るまでの間、歴史ある旅館には必ずあるといっても良い大広間で過ごした。

後の女将さんのお話にもあるが、この大広間では宴会はもちろん結婚式やお偉いさんを迎える接待が行われていたらしい。旅館には芸者さんの支度部屋もあり、戦争へ行く兵士の送迎会のようなものも開かれたそうだ。

今では物置となっている部屋で当時の様子を思い浮かべるのは楽しい。

けど、ここからの本山の景色が最後の故郷の景色になった人もいるのだろう。

大広間に座る。

大広間からの景色。

看板を見る。この光景も貴重だ。

最後に向かいの部屋からダンスホールを見る。

最後に、女将さんから聞いた話を載せる。

  • 本山城の城下町で古くから栄えていた。

  • 林業で栄えた。檜は吉野川に乗って和歌山に運ばれ、大阪城名古屋城にも使われた。
  • 昔は小学校全体で600人の生徒がいた頃もあった。
  • 本山は桜が有名でその時期には人がたくさん来ていた。商店街はすれ違う人の肩が触れるほどだった。
  • 昔は本山にも4件旅館があった。今はここしか残っていない。ここもいつまでできるかわからない。今大学の先生が動いてくれて、残るか残らないかの瀬戸際。
  • 旅館の前にも店(電気屋、スナックなど)が並んでいたけど、美空ひばりが亡くなった年(1989年?)に火事があって焼けた。
    幸い風がなくて高知屋旅館は燃えず、水もかからなかった。
  • 旅館を文化財として保存しようとする動きもある(次の日に大学の先生が来ること)。
  • ダムができて439号線が通ったことで旧道になり、人通りが減った。今では店も国道沿いにある。けどみんなただ通り抜けてしまう。
  • 昔は中学を卒業したら地元の職につく人も多かった。皆が高校、大学に行くようになり、若い人が減り、老人だらけになった。
  • 本館は大正、その後に大広間が、ダンスホールは昭和のはじめに建てられた
    ひいおじいさんがハイカラな人だったらしい。
  • ロの字型の内庭は珍しい。
    天然のヒノキをこれだけ使った建物も珍しい。本山は晴れの日と雨の日のバランスが良いからここまで檜が曲がらず建物が残っている。

旅館を保存する話もあるみたいでうれしかった。僕が泊まった次の日に、高知屋旅館を残そうと働きかけている大学の先生方が来るとしきりに話されていた。