いっぴきこあらの大冒険

ロードバイクで鄙びた集落を巡るブログ

【福島県】日本語ラップのクラシックで歌われた小名浜を巡る

以前書いたように僕は日本語ラップが好きです。いわゆるにわかで、クラシックになってる曲しか知らないですが。

 

 

今回は鬼の「小名浜」で歌われている小名浜を訪ねました。

※怖いおじさんと客引きのババアにビビりながら歩いたので写真少なめです。

 

 

大学2回生のときに一般教養の授業で紹介されていたのが鬼の「小名浜」。

www.youtube.com

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当時高校生ラップ選手権が盛り上がっていたのもあり、ラップバトル経由でラッパーのすごさは認知していた。即興で韻を盛り込んだアンサーを返すことやフローのバラエティなど、バトルでのテクニックが面白くて見ていた面が大きかった。

 

小名浜」は韻を踏みつつも、人生の暗い面をさらけ出す曲になっている。生々しい情景描写が作者の幼少期を疑似体験させ、韻を踏みつつも文学的の高い歌詞に心を掴まれた。

 

 

まず、特急ひたちに乗り、いわき駅に向かった。いわき市福島県最大の人口の都市だ。郡山と人口を争っていたイメージだが、現時点ではいわき市の方が多いらしい。

いわき駅に到着。

いわき駅近くにも歓楽街が並ぶ。

 

いわき市の繁栄と小名浜は切っても切り離せない。小名浜港は古くから漁港として栄えたのみならず、日立市近辺の常磐炭田で採れた石炭を運ぶ港であった。当時、常磐線も石炭を首都圏に運搬していた。

 

例に漏れず、海外の石炭が安く手に入るようになり、国産の石炭の産出はほぼ行われなくなった。日立鉱山もとっくに閉山している。

しかし、小名浜港の航空写真を見ると、岸壁付近に石炭の黒色が見える。

小名浜港の航空写真には石炭が見える

これは、今度は小名浜港が石炭を船から受け取る港となっていることを表している(国際バルク戦略港湾に選定されている)。化石燃料を中東などの海外からの輸出に頼る日本にとって、エネルギーの安全保障上からも石炭による火力発電は重要だ。

小名浜港の近くには石炭を用いた火力発電所が数カ所あり、その電力は東京や東北を支えている。

www.pa.thr.mlit.go.jp

 

いわき駅からバスに乗り、「小名浜」で出てくる花畑町で降り立った。どこにでもあるような地方都市といった感じだ。国道沿いにずっと大型チェーン店が並ぶ姿を見ると気が滅入る。これこそ日本の景色のイデアだと思う。

(こう思うと四国とか山陰の景色はきれいだよね)

 

花畑町でバスを降りた

 

小名浜」にはこのような歌詞がある。

 

水商売 母1人子2人

薄暗い 部屋で眺めた小遣い

 

くじけた背中を洗う ソープ嬢

泡と流す 殺気立つ毒を

小名浜港は 油で濁す

必要悪が あくまで美徳

 

とあるよう小名浜には風俗街がある。

石炭で栄えた街には歓楽街がセットとなっていることが多い。グレーゾーンな存在である風俗店を悪だとか、そうでないとか言う能力は僕にはないが、激しい労働と出稼ぎでいびつに膨らんだ街の「必要悪」的な存在なのだろう。

(妻からのコメント:と言う割には偉そうに書いているよね)

 

実際、小名浜の風俗街を歩くとそれが混沌とした存在であることがわかる。笑っちゃうような名前のお店の看板が見えたかと思えば、建前上は料亭を模した普通の名前の店もある。一方で、本物の料亭があり、普通の住宅がある。

小名浜には風俗街が残っている。

 

近年は原発事故の作業員で小名浜の風俗街はにぎわったようだ。

風俗嬢の「作業員のカウンセラー的存在」とも記事にある。自分の話を肯定的に受け取ってくれる傾向にあり(サービスなので)、後腐れのない人に自分の境遇、考えをぶつけるのは抗うつ剤より効くのだろうか。風俗を生業としているというバックグラウンドが、自分の話を受容してくれるだろうといった錯覚を生み出すのかもしれない。

bunshun.jp

面白いのは客引きだ。風俗街の客引きといえば若いお兄ちゃんのイメージがある。小名浜では日傘を差したおばちゃんが客引きをしていた。こんなでかいカメラを持って歩き回っているthe観光客の僕にも話しかけてくれた。

 

小名浜東日本大震災津波で大きな被害を受けた。その跡地には大きなイオンモールが建設されている。街の西側から海に向かっていったとき、イオンモールが海と風俗街を隔てる壁のように見えた。

奥のイオンモールが風俗街と海を隔てる壁のように感じた。

多くの人の雇用を生み出すイオンモールと同様に、出稼ぎのねえちゃんや、おじちゃんおばあちゃんの働く場所を提供してきた風俗街は「必要悪」的な存在なのだろう。

 

風俗街にあるラーメン屋で食べて帰ろうと考えていたが休業だった。なのでイオンモールサイゼリアでパスタを食べて帰った。これが僕の人生を表している。