Part1
トンネルを抜けても酷道だった。
酷道として有名な439号線でも、全区間が「酷」というわけではない。交通量が見込まれるところは2車線の整備された道であることも多い。しかし、ここは酷道の名に恥じない1車線の山道である。荒れた路面を慎重に下る。
峠を下って最初の集落が見える。人がいなくても安心する。道が整備されていない時代、徒歩での峠越えは大変だったのだろう。その頃の人もこの景色を見てほっとしたに違いない。
2つ目の目的地、神山町の川又集落にたどり着く。
ここは四国を東西と南北に貫く国道の合流点となる。南側、土須峠の近くには有名なスーパー剣山林道がある。
合流点には町がある。ここ川又集落も例に漏れず、複数の商店や旅館があり栄えた時代を伺わせる。
こんな記事を見つけた。
・昔は林業が盛んで人がたくさん暮らしていた。
・小学校に600人、中学校に300人の生徒がいた時代も。
記事内の1987年の「川又商店街」の画像がたまらない。
林業といえば木材の輸入自由化、円高による衰退を思い浮かべる。「時代の流れ」で済まされることに大勢が関わっていたのだ。
ここからは吉野川に向けて439号線をひたすら下る。下り坂かつ追い風で気分よく進む。川幅が広がるとともに、道が広がり、旧道が分かれ始める。旧道があればそちらに向かう。
途中、神山町役場の近くを通る。ここには和菓子屋も残っており、新しい家もある。軒先に人が並んでいる。今日はハロウィンであった。仮装した親子が練り歩いている。
神山町は林業、養蚕で栄えた町で、昭和中ごろには20000人もの人が暮らしていた。
今は6000人程度であるが、移住者が多く「地方創生の成功例」と言われている。アートによる街づくりを発端とし、光ファイバーを整備したことで、IT企業がサテライトオフィスを設置したことが影響しているらしい。僕もこんなところで暮らしたいなあ。
神山町役場の近くには劇場がある。北海道の炭鉱で栄えた街然り、娯楽の少ない時代に栄えた街には劇場があることが多い。
神山町では山林を活かそうと様々な活動が行われている。
好きな町のためと思うと財布の紐がゆるみがちになる。今度ここの食器を買ってみようかな。
神山町を巡った後は鮎喰川沿いを下り吉野川に合流、穴吹駅へと向かった。
穴吹駅目の前の日乃出本店で名物のぶどう饅頭を食べる。ぶどう風味だが、「武道」にかけたお菓子である。車に自転車を積み込み帰路に就く。
吉野川沿いの国道は交通量も多い。道端にはドラッグストアやスーパーなど、車社会を象徴する「でかい駐車場がある店」が広がっている。この光景は日本中どこにでも広がっており、田舎のイデアを感じる。徳島市街から神戸に向かう高速に乗る前、ラーメン東大で徳島ラーメンを食べる。